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プロフィール short ver.
DUKE ニュージーランド在住15年目
普段は移住・留学・就職・起業 のサポートを主に行っています。
仕事をオンライン、ノマド(リモート)化 にシフトし
更なる海外渡航者を 増やすべく奮闘中。
趣味はサッカー, ネットワーキング

このブログでもそれらをテーマに書いていきます。
因みに題名のDuke in ニュージーランドはAlice in wonderlandを文字っています^^

ちょっと長いVer.の自己紹介?バイオグラフィー?は下からどうぞ^^

 

 

ニュージーランド在住15年目の生粋の日本人DUKEです。
はじめまして?!

2017年でニュージーランド在住15年目のDUKEです。

・・・というか本当は大輔といいます(笑)

ダイスケってこっちの方は発音出来ないんです・・・

「ダイ・スーキー」ってなって色々と意味が変わってきます(苦笑)

 

そんな訳でしばらく前からDAISUKEのAISを抜いてDUKEという英語名で活動しています。

ニュージーランドでは留学や就職や移住に関係するお手伝いなんかが主な仕事ですが

数年前からニュージーランドという枠を越えてONLINEや日本帰国時に「日本人はもっと海外に出て色々と経験するべきだ」といった事を人や自分のイベントを通して発信したりしています。

今までの自分の企画・運営したイベントの記録はこちらにあります。

ちょっと良い機会なので何で今海外で生活するようになったかまでを含めて

この場で自分のプロフィール(Long ver.)を書いてみます。

 

幼少期―小学生:
1973年1月誕生

 

正に団塊の世代JRのど真ん中。

東京で生まれて埼玉で育ちました。(そして今やまた実家は東京です)

すごく活発な子という訳ではなかったですが母親の影響か結構最初から誰とでも仲良くなれるタイプでした。

今もそんな感じです・・・決して(文章ほど)テンション高いタイプではないですが誰とでもすぐ話せるという^^・・・

当時は女の子と一緒に遊んでるとからかわれる風潮があったのですが結構(隠れながら?^^)

普通に男女隔てなく一緒に遊んでいましたね。

ただ小学2年生から始めたサッカーの時は自分一人だけ隣の学校からの越境参加だったのでとてもおとなしく委縮しているようなところがありました。

なんでそこまでしてそんなにサッカーをやりたかったのか全然覚えていないのですが例に漏れずキャプテン翼にハマりましてその中でも転向を繰り返すけど明るくてテクニシャンな岬君にすごく惹かれて11番という背番号に憧れ出しました^^。

とにかくあの頃があるから40歳を越えた今もサッカーを続けていられているんだと思います^^

小学校―高校 (サッカー)

そうやって小学校低学年から始めたサッカーなんですけど越境していたクラブチームで委縮していた時とは打って変わって自分の学校でサッカーをやる時は水を得た魚の様に自由に泳ぎ回っていました。

「サッカーといえばヤマ(山本からきてます^^)」

と言われてこの学校に敵はいないと思っていました(狭っ!^^)

中学校に上がると正式に自分の学校のサッカー部に入部したのですが何度か腰を悪くして全然パフォーマンスも悪く・・・・。小学校の時には「教えて!」と言われていたような人たちにどんどん追い抜かれて行きます。

たまに動けるようになっても下級生と一緒に試合させられたりして負けて・・・そこでまたプレーも委縮して・・・

これ、最初の人生の挫折経験でした。

自分が好きで得意と思っていたものにこんな風に打ちのめされるなんて・・・

 

この頃初めてサッカーを嫌いになっていたかもしれません・・・

 

その後高校では結局サッカーもやらずテニスをちょっとカジった位で後はバイトと遊びに明け暮れていました。

高校の3年間は真剣にボールを蹴る機会はありませんでした。

あ・・・体育の時間は半分以上がラグビー部という隣のクラス相手にサッカーをする時間が多くて僕はチョコマカ動いてゴツいその人たちをイライラさせて「潰せぇー!!」の号令の元よく追いかけられてました(笑)
結構ラグビーの強い学校だったんですよね。

あの頃の彼らに言いたい

「Hey guys,将来オレは君たちのラガーマン憧れの聖地にゅーずぃーらんどに住むんだぜ!」って^^

それ以外には3年間の高校生活はなんとも・・・青春って感じの出来事もあまりなく・・・
(あ、・・・あんな行動あれが最初で最後だけど話したこともない子にいきなりラブレター書いて振られたっけ・苦笑)

進路に関しても何がやりたいとか危機感なんかもまるでゼロで、なんとなく勧められた大学の推薦(といっても普通に試験もありました)が通ったので高校卒業してそのままその大学に行くことに・・・

本当に何も考えもなく・・・今の子の方がよっぽど危機感もその準備もありますよね・・・・^^;

大学時代

ここも基本的に遊びとバイト1色(2色?!)でした。

よくも悪くも日本の大学は入学してしまえばそこそこ要領よくやれば卒業できてしまいますよね。

まぁ、全然勉強なんてしませんでした(苦笑)・・・

今は思いますよ「あああ・・・こんな事昔大学の講義であったなぁ、ちゃんと勉強しておけばよかったって」

でも社会人経験しないと、どんな知識が必要なのかなんて実際のところわかんないんですよね?!・・・・

あと大学生活で挙げるとすると・・・地元で高校時代の仲間とサッカーチームを立ち上げたこと。

高校の3年間離れていたサッカーの再開。

そして委縮する必要のない仲間と作ったチームでまた伸び伸びサッカーをやる楽しみを取り戻す。

言い出しっぺの一人という事とB型ばかりのチームメイトの調整の意味を含めてA型の僕(言われた事ない^^)がキャプテンに任命される。

人の上に立ってグイグイ引っ張っていくタイプとは程遠い自分には不向きと思っていたものの自己主張の強いBたち(^^)の中でも話を聞けて(聞いたふりができて?^^)結果的に調整できて

結局は何となくアイツにしておけばうまく行くんじゃない?!

って感じでその後ニュージーランドに来るまで(途中オーストラリアで1年抜けましたが)毎週日曜日はこのチームでサッカーしてました。

このキャプテンの経験はそれまでの自分にない部分が見えてきた貴重な体験でした。

リーダーって引っ張っていくタイプだけじゃなくて周りに生かされてやれるタイプもいるんだな・・・と。

就職活動

出ました就活です・・・

着てましたよリクルートスーツ・・・

その前の年まではまだバブル景気の恩恵を受けて売り手市場だったみたいですけど僕らの世代からガクーンと落ち込んでなかなか激しい就職戦線でした。

こんな映画ありましたね。・・・懐かしい^^

・・・そもそも中高のクラスが10クラスあったような世代ですからね、僕ら!!!

受験戦争だって就職戦線だって競争とは無縁でいられない世代でしたよ・・・

僕はその頃になっても自分が「これがやりたい!!」ってものがまだ見えてなくてアルバイトの経験から

・人と接する事

・色々な土地に行ける経験できる事

・スポーツに関連する事

を希望して就職活動をしていました。

 

今思うと何の思想もなく、戦略もなく、準備もなく・・・・酷いレベルです(苦笑)

このブログでは(海外を含む)就職・働くという部分も大きなテーマですが今の自分ならもっと全然違う方法で臨んでいたでしょう。 そもそも一斉にやる就職活動には乗っからずに別の手を打つと思います。

競争を避けて希望の職種に就くための作戦を練って臨みます!

その辺は追々UPしていきます・・・。

 

夏に入るまでは結構な数の説明会、面接を繰り返しますがほぼ全滅。

大学の就職課から「経過はどうですか?・・・サポートが必要ですか?」という電話が掛かった数日後運よくスポーツウェアメーカーの営業部での就職が決まったと連絡が!!!

新卒でスポーツメーカーそしてワーキングホリデーへ

スポーツメーカーの営業部に配属されてからは東京支店で一番凄腕の営業マンの方に下について仕事の、営業のイロハを一から教わりました。

メインがスキーウェアの会社だったので冬の時期は休みもなく北は北海道から南は九州まで毎日出張の嵐。
あまりに移動が多くて家に帰れず疲労で飛行機の中で金縛りという経験を何度も(苦笑)・・・・

1年が終わる頃にはそこそこ動ける戦力になっていたと思っていたのですが(まぁ大いなる勘違いですが^^)

スポーツ業界特有の根性論みたいなものに「仕事にそんなもの持ち込みたくない・・・」と考えるようになっていく。

まぁ23歳のわかぞーでしたから(苦笑)

いや、今は逆に思いますけど根性と言うか忍耐がないと良い仕事は続けられないと・・・

そんな訳で

段々と自分が40歳になった時に(体が動かなくても)そんな根性で乗り切らないといけない状況嫌だなと

40歳になって会社をクビになっても、もしくは倒産しても生き残れる方法を考えないとな

と考えていくようになります。

そんな時に聞いたワーキングホリデーという言葉・・・・

 

まだ当時はインターネットも出てきてなかったし、たぶんどこかの本か何かで見つけたんでしょうね・・・

「一生に一度だけ海外で1年勉強も仕事も出来るというビザ」

もうこの響きを聞いた時に直感的に

「これは行かないともったいない!!」とほぼ即決でしたね。

 

もちろん準備の期間はありましたがこうして24歳でお隣オーストラリアのワーキングホリデーへと旅立つのでした。

その頃の涙と笑いと若さが詰まった恥ずかしい記録も残しています。

ワーキングホリデーに行こう!

それまでの人生で敷かれたレールの道の上を歩いて来たことに何の疑いもなかったのに、今思うとこの時に初めてその一歩を踏み出したんですよね。・・・その後は踏み外しっぱなしですが(苦笑)

・・・というところで本当の自己紹介(はじめに)へ続く(まだあるのかよ!!??)

ニュージーランドに関連する事は何でもまずは聞いてみて下さい!

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