クリスマスイブになりましたね。
こちらニュージーランドはどうかというと・・・・ようやく快晴。
夏!!という感じのニュージーランドのサマーホリデーになって来ました。
(先週は1週間雨ばっかりで少し肌寒い感じでしたし。)
ただクリスマスイブ・・・という言葉は存在するものの実際にこの日に
恋人同士がデートしなきゃいけない?!みたいなこともなければ
そのためにこぞって相手を探すような気配はありません・・・
いや・・・どうかな・・・本当のところ僕も、もうその辺の動向は
ちゃんと分かってない気がします(苦笑)
ただ無意識的にクリスマスは家族と過ごすというのがこちらでは当たり前に思われている
気がします。久しぶりに家族全員で集まるといった感じでしょうか。
24日、もう一つは前の職場からずっと一緒に働いてるNZ人のMIAの誕生日でもあります。
190cmはあろうかというイカつい体に両腕のタトゥー。
英語教師だった彼も今は僕と同じマーケティングの部署で働いています。
こんな風体をしても実は日本人的な結構気遣いをしてくれる奴でいつも助かっています。
随分長いこと相方になっていますね。きっとこれからもだな(笑)。
Happy Birthday Mia!!
そして一番大きな日になってしまったのは僕の母親の命日でもあるからです・・・。
以前にその時の気持ちをここにも書いてしまったこともあったので
そのことをまた書いても仕方ありませんので母親とのクリスマスの思い出をここに・・・。
皆さんは子どもの頃サンタクロースがいることを信じていましたか?
どのようにプレゼントを貰っていたのでしょう?
我が家は大抵12月になるとポストに入って来るおもちゃの広告チラシをチェックして
「これだ!!」と思うものを切り抜きサンタさんへのメッセージを添えて
「これが欲しいのです」と紙に書いて12月頭にはベットに貼り付けていました。
アピール必死です(笑)。
もちろん全てが思い通りになる訳ではなく全然違う物になることはあったものの
一応リクエストに近い形でサンタさんは対応してくれてた様でした。
で、どういう訳か僕らの通信簿の結果を知っているサンタさんは(はは・・・)
「来年は算数をもう少し頑張ろうね」とかメッセージも残してきて
「うわっ、さすがサンタ。そこまでバレているんだ!!」とショックを受けていたのを
覚えています。(苦笑)
そんなある年のクリスマス。
やっぱり楽しみでイブ明けの朝方早く起きてしまい枕の横にあるプレゼントに
テンション上がりまくりでラップを剥がしていきます。
そして開けてみると・・・・
電気ゆたんぽが・・・・
いや、とてもありがたい。必要なものなんでしょうけど・・・・。
’これ’では子どものテンションはやっぱりなかなか上がりません。
こんな年は初めてだったんですがたぶん小学校3年生くらいになり
そろそろ子どもっぽくないものを・・・と母お・・・・サンタさんが考えていたのかもしれません。
次の日のクリスマスの日には母親が妹を乗せ、僕は1人で、2台の自転車で
友だちの家に行きました。
当然そこではプレゼントの話になってカッコイイおもちゃを貰っていた友だちに
僕が言います。
「いいなぁ〇〇くん、そんないいヤツ。オレなんて電気ゆたんぽだよー・・・・」
それを聞いた母親が僕に言います。
「あれっ、ダイスケあれ嬉しくなかったんだ。・・・それは残念だねぇ・・・」
僕「・・・・うん」
そして友だちの家から帰る時、母親が言います。
「お母さん寄るところがあるからダイスケ1人で自転車で帰って来て。車に気を付けるんだよ!」
・・・・なんだぁ・・・??
と思いながらも一人とぼとぼと自転車で帰る僕。
そして家について自分の部屋に入るとベットの上にプレゼントの箱が・・・・。
!!!!
箱の上にはまたメッセージが・・・・。
「ダイスケくんが昨日のプレゼントが気に入らない様子だと聞こえました。
そろそろおもちゃは卒業かと思っていたのですが・・・。今回は特別に
もう一つプレゼント。来年は整理整頓を頑張りましょう!!
サンタより」
開けてみると小さいながらも男の子が喜ぶようなカッコイイおもちゃが!!
やったぁー!!!
サンタさんって本当に何でも分かっちゃうんだな。スゴイと
本気で思う小学生でした。
おいおい(苦笑)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今考えるとなんて甘い母親なんだ。と思うし
普通に成績の事言われている時点で何も疑わない自分もどうなんだ?
とも思います。
だけど友だちの家から僕らが住んでいた家までは自転車で15分くらい。
その間にまだ小さな妹を乗せ急いで自転車を漕ぎおもちゃ屋に寄りプレゼントを選び
メッセージーも添えてベットに置き何食わぬ顔で僕を出迎えた母親。
子供に対して自分ができる、やりたいという事は何でもやってきた母親。
時に(その当時の僕ら)子供が’もう少し抑えてよ’と思っていたとしても(苦笑)・・・
そしてそんな母親だったから・・・
僕が何かをしたいと言えば最終的にはいつだって
「お前がしたいようにすればいい。人生楽しんだ人が勝ちです。
お前が好きな様に生きてるのがお父さんもお母さんも幸せなんだよ。」
と言ってオーストラリアに行く時もニュージーランドに行く時も
笑って送り出してくれた。
その母はもういない。
今、日本からお義母さんや、おばあちゃまがこっちに見えられていて
ウチの子供たちと接している二人の姿を見てやはりこんな良い顔で笑う
母親を見たかったな。と強く思う。
母ちゃん・・・親ってなんなんだろ・・・・。
「お前も親になれば分かる」と言われていた事が最近少しづつ分かるようになってきました。
でもまだまだ母ちゃんの言ってた意味のほんの少しだけしか分かってないと思う。
そんな事ももう少し話をしたかったな・・・。
オレは母ちゃんの言葉を守って相変わらず好きにやり楽しんでいる。
子どもたちにもその言葉を伝えて行きたい。
またね。
マッキーやばいね・・・なんだか湿っぽくてすいません。
たまには?!NZ流に家族のクリスマスもいかがですか?
2件のコメント
ええ歌ですね、、、
感動しました!
ええ歌でしょ?
10年後にその意味はもっと深くなると思うよ?!
俺ら遠く離れてるんだから帰った時くらいは
いい子供。息子でいないとね・・・・
ってそもそもこうやって外に居れるのも
親兄弟の協力なしにはないからね。
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