僕の心強き母親について。-風のガーデンと共に逝った母-

4,5ヶ月もサボっている内に年が明けてしまいましたね。

アクセス解析を見るとさすがに下がっていますが今回、前回と日本に帰国した際に
「もうUPしないんですか?」と何度か聞かれました。

もう不定期になってから長いですね・・・

今後もたぶん数ヶ月に一回くらい・・・人に見て頂く記事が書けるように
なったらまた違うかもしれませんけど出来る限り頑張ります。

今回新年のご挨拶はちょっと出来ないのですが僕の母親について書かせて貰います。・・・
(NZとは直接関係ない超個人的な事ですし関係者以外は・・・というか
きっとこんな感情や感覚は後にも先にもないと思うので
自分自身に向けたような内容になるかもしれませんのであしからずです・・・)

僕の母親は最後まで「風のガーデン」というドラマを欠かさず観ていました。

自分のいる病室の位置も分からないような寝たきりの状態になりながら。
僕が11月末に帰って病室に泊まった時真夜中に
「あっ、もうドラマの時間だ」なんて少し朦朧としながら。

このドラマのテーマは「人は死ぬ時にどこで何をしたいか?」
そんなことを倉本聡さんが言っていました。

そしてそんな母は12月19日の「風のガーデン」の最終回を観た後
クリスマスイブに逝ってしまいました。
運命の悪戯か偶然にも僕自身がオークランドでインターネットで
その最終回を観た数時間後でした・・・。

母親はもう延べ3年以上肝臓の病気と闘っていました。
僕は既にもうこっち(NZ)で生活していましたが
その間も入退院を繰り返していました。

その3年の間数ヶ月ごとに本当に危ない状況に陥りますが・・・

その頃僕が付き合い出したまっかちんとオーストラリアに旅行に行くので
一緒に両家族でオーストラリアで会わないか?と提案すればお医者さんを
説得してそれまでにゴールドコーストの海に入れるほどの体調にまで持ってくる力。

いよいよ僕らが結婚すると報告すると式にちゃんと出れる様にその頃転移した
何箇所ものガンを根治するために一時は本当に危険な状態にも陥りながらも
手術を重ね、またちゃんとこちらに戻ってきて「おめでとう」って言ってくれた力。

そして僕らの子どもが出来たことを喜んでくれたのも束の間、再度入退院を繰り返す毎日の中
(一時的でしたが)しっかりTHEOを抱きしめる事が出来るくらいにまで持っていたその力。

ピンチになる度にいつだって最後は戻ってきたとても心の強い母親でした。

そして11月末容態が悪化し明日にでも亡くなる恐れがあると
医者に言われ飛んで帰った時でさえ今度はその大きな山も越えて
僕が滞在した2週間は日に日に元気になっていきました。

だから今度もまた大丈夫だろう・・・か?!
12月の頭に2週間の滞在を終えNZに帰る際すごく悩みました。

自分の中ではこの時(11月)に急に呼び出された事でもしかしたら
生きて会えるのは今回が最後かもしれないという思いがあり今言えることを
洗いざらい言ってみてはどうかと考え出したりしていました。

今までありがとうだとか。今は幸せに暮らしてるんだよ。
とか、とうちゃんと仲良くねとか・・・・

一旦そんな話をし掛けるのですが・・・・・先の言葉を続けることができません。

だって話をしていても母親の頭の中にあるのは’どうやって次の手術を耐えて
生き抜くか’ということだとひしひしと伝わってくるからです。

もう一ヶ月も寝たきりの状態で早く帰りたい。
そしてこの状況を打破するためにどうしようか。

これからの自分のことを全く諦めずに闘っている母親に対し
僕はやっぱり最後のお別れにも取れるような言葉を続けることができませんでした。

この人はなんて強い人なんだろうと改めてその凄さに言葉を失ってしまいました。

今を持ってしても正しかったのか正直わかりません。
ちゃんと今までのことありがとうって言えたらよかったのに
という思いは今もまだ燻っています。

もっと違った感謝の方法もあったのかもしれませんがその時僕が話したのは
僕がまだ小さな子どもの頃に母親に怒られたことや、クリスマスの珍事件や、
家族での旅行などの他愛もない話ばかりでした。

そしてまた来るよといった感じの軽い別れを交わしNZに戻って来たのでした。

そして・・・

12月22日。
現状を打破するために今までにもなかなか例の少ない手術を敢行。
無事成功に終わった・・・はずでした。

12月24日未明
急変し日本時間の夜中の3時にたった一人で遂に旅立ってしまいました。

なんで?

母ちゃん・・・いっつも父ちゃんもみっこ(妹)もよしくんも看に着てくれたのに・・・
なんで皆の前じゃなくたった一人でしかもあっという間に逝ってしまったの?

最後夜中に父親が車で駆けつけた時には呼吸が停止し
微かに脈が残っているくらいの状態だったそうです・・・

妹がその数十分後に駆けつけた時には完全に亡くなっていたそうです・・・

そして僕が1日遅れて日本に駆けつけた時には
もう化粧をして棺桶の中で冷たくなっていました・・・。

なんだよ、これ・・・化粧して眠ってるだけじゃないかよ、母ちゃん・・・・

なんだかもう・・・・訳がわかりません。

今、目の前で起こっている現実がどうしても自分の中に入ってこないのです。

しばらくして落ち着くのですが母親という創造主がいない世界に
自分が存在しているというその状態が今度は飲み込めなくなります。

今までいた世界とは別の空間に迷い込んでしまったようで
非現実的世界に行ったり来たりしていました。

日に日に現実を受け入れるようになり葬式まで済ませるとようやく起こっていることの
全てを理解できるようになりましたが忘れる瞬間もありました。

だけどふとした拍子に居間に飾ってある写真を見るとこの家に
母親がいなくなったことを何回も知らされるのでした。

その頃のTHEOは慣れない家のせいか、なぜか夜咳でむせて全然眠れませんでした。
夜中の2時3時にもなっても止らないTHEOをまっかちんが必死にあやしています。
正直まっかちんも眠いしさすがに発狂寸前になる時もあります。
僕もまっかちんと替わったりしてみますが一向に泣き止みません。

それでも最後はどんなに時間が掛かっても子どもを寝かしつける母親。

その姿を見ている内に「オレも子どもの頃(母親はこんなに眠いし疲れてるのに)
こうしてあやしてもらったんだろうなぁ」と思いまた押さえつけていた涙が流れるのでした。

この帰国中どれだけの涙を流したんだろう・・・

悔しい涙、自己嫌悪の涙、思い出の涙、時が流れてこんな気持ちさえ
いつか薄れていくんじゃないかと考えてしまう寂しい涙。そしてただただ悲しい涙。

風のガーデンの中で緒形拳さんは言ってました。

「’悲しい’という言葉の中にそこには好きだからという意味が含まれていると・・・」

母ちゃん・・・・悲しいです。寂しいです。

生きている内に何もしてやれなかった。
ニュージー行きのチケットも渡せなかった。
THEOのこと溺愛していっぱい話をしてもらいたかった。
そして記念日の度に「セオ君は今何が欲しいの」って聞いて欲しかった・・・

でも昔、皆が寝静まって母ちゃんとオレだけが下の階にいて
母ちゃんが化粧箱の前で化粧を落としながら色々な話をしたよねぇ。

オレの昔の彼女の事とか父ちゃんが被った部下の失態の話とか
みっこと話す話とか・・・そして当然オレが家庭というか結婚するかどうかとかね・・・

そんな話をしたあの頃が戻ってこないのが一番・・・・・寂しい・・っていうか
その化粧箱が残ってるのが・・・・一番オレにはキツイよ・・・。

考えるとキリがありません。

でもせめてもの慰めはラスト3年で自由気ままの長男がなんとか結婚し
式に出てその姿を見てもらいTHEOという孫を抱いてもらえることができたこと。

そしてこれは変な感じだけど遺灰と写真をこっち(NZ)に持って来た事で
以前よりも僕らの近くにいるように感じること。

病気の時の体の不自由を離れてあんなに行きたい行きたいと行っていた
NZに実は今一緒に帰って来てるんじゃないかな。とさえ思えてくることです。

でも本当にそんな気がします。本気に。

そしてようやく会えたPOKEYとNZの庭そしてTHEOを見ながら笑ってるんだろうな。

母ちゃん本当に色々ありがとう。
これからは近くから甲殻類家族を宜しくお願いします。

また話をしようよ。またね。

haha.jpg

ダイスケ


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5件のコメント

  1. アバター Takuro より:

    うんうん。そんな時間を過ごしてたんですね。
    ダイさんの感じる気持ちとてもよく分かります。
    突然世界は変わったようで、何も変わらなく流れていく現実を感じると思います。
    でもきっとこれから見えるダイさんの世界は今回の事で変わっていくと思います。誰もが弱く、簡単に下を向くスイッチが入る時があると思います。
    そんな時こそ、このブログに語ったお母さんの力強さを思い出して下さい。いつまでも背中を押してくれると思います。
    そして受け継いだ強さや、優しさを次はダイさんがお子さん奥さんに与えて下さい。
    悲しいのも辛いのもそこに好きがあるから。
    そんなダイさんの好きなお母さんがこれからも喜んでくれる生き方をされて下さいね。
    ご冥福をお祈り申し上げます。
    Takuro

  2. アバター DAI より:

    ひさしぶり。
    ご無沙汰です。
    そうなんです。そんなこともあって年末年始は日本にいたんだよね。
    もうなんとも言えないけどTAKUROも数年前にお母さんをやっぱり若くして亡くしてるから同じ気持ちなんだろうな。なんか勝手なんだけどあんだけ強い人だったから病気になっても絶対大丈夫だってどっかで思ってたんだよね。
    だから余計混乱もしたし違和感が消えない感じです。でもこうして家族って引き継がれていくと初めて実感したよ。
    ミスチルの「花の匂い」はタイムリー過ぎてヤラれてしまいました。
    TAKUROのそんな曲がいつか聞きたい。待ってます。
    DAISUKE

  3. アバター さばとら より:

    はじめまして。
    ゆびとまからやって来ました、通りすがりの者です(^^ゞ
    誰にでもやって来る、母親の死。ですが、
    私も44歳で自分の母親を見て「ずいぶん老いたな~」と段々と死が近づいているのを感じます。
    正直なダイスケさんの心の内を見せていただき、自分もこんな気持ちになるんだろうか?と考えさせられました。
    実は、自分の母親を「あまり好きでない。」自分がいることに気づき、母が死んでも「あまり悲しくない」自分を想像していました。
    ですが、記事中の「創造主がいない世界」というのを見てがく然としました。母親がいないというのはこういう世界なのか?と…
    もう一つ、実は…
    私は母子家庭で息子と二人で暮らしています。「お母さんが癌になったり、事故で植物状態になったら、治療しなくていいからね。面倒みなくていいからね。」と息子17歳に言ったことがあります。長生きするつもりはないのだ、と伝えました。
    でも、これって息子に「創造主のいない世界」を早く与えてしまうことなんだ、と気がつきました。
    長生きするつもりがない母親がいい母親なのか?どうか?考えさせられました。
    通りすがりなので、このような友人にも言えないことを書くことができました。感謝です。
    このページにたどりついて、ダイスケさんの記事を読めたことに感謝です。
    いろいろ考える事ができましたm(__)m
    ありがとうございます。

  4. アバター DAISUKE より:

    ありがとうございます。
    そうですね。
    息子さんにそんな事言わないであげて下さい。
    男の子にとって母親は特別で絶対的な人です。その人が居なくなると自分の立ち位置が分からなくなることもあります。
    ただやっぱり男の子ですからあまり言葉にしてそういうことは言わないかもしれないですけど特にたった一人の親だったら尚更ですね。
    未だにたまに現実を忘れるというか違和感を感じる時があります。
    誰かが言っていました。
    「親というのはそこに存在してくれているだけでありがたいんだと・・・・」
    本当にその通りだと思います。
    長生きして息子さんといつまでも沢山話をしてあげて下さい。

  5. アバター さばとら より:

    レスありがとうございます。
    私にはまだ両親が健在なので、親をなくすというのがどんなことか、ピンとこないのかもしれません。
    なので、子供にとっても私なんて居なくてもやっていけるだろう、なんて浅はかに考えてしまうのかもしれません。
    >沢山話をしてあげて下さい。
    そうなのかもしれません。

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