21.シドニーで就活&交渉

家探しの1日を終えバックパッカーに帰って、最初は明日からまた色々まわってみようと考えたけど 計算してみるとやっぱりバックパッカーの悪環境でステイするよりは安いし安全なので 次の日から工場に住むことに決めた。   背に腹は変えられない。(実際もう金に余裕はなかった。) 気に入らなかったらまた引っ越せばいいさ。フフン。簡単。簡単。    …結局彼はシドニーの町を出るまでその工場から移動することはなかった。    次の日から工場での生活が始まった。 そこには日本人の男4人女1人、インドネシア人2人、韓国人2人に オーナーのオージーノールとその奥さんノエル(昨日の韓国人のおばさん) という大家族だった。   日本人はほとんど働いていた。 昨日髪を切られていた男はコーヘイ20歳と名乗った。 とてもおとなしい子だった。   もうひとりの1階の日本人の住民ノリは昼間は魚を下ろしている職人だった。 24歳だ。また、昨日コーヘイの髪を切っていたのはノリの彼女だった。 彼女はオレが入ってすぐにメルボルンに移り住んでしまった。   ノリは大阪特有のノリで(シャレじゃないぞ。)色々笑かしてくれるヤツだった。 ブリスベンのジンもそうだったけど、関西系のヤツは絶対最後にオチをねらって喋ってるように思えた。   二階には日本食レストランで働いているタクヤ(23)ともうひとりのコーヘイ(23)がいた。 この二人のコーヘイを区別するために二階の住人の方をコーヘイ、 20歳の方をコーヘイBもしくはただ”B”と呼んだ。   この2階のコーヘイは185cmくらい背丈があり、ピアスを2本開け、目つきが悪く 初めて会った時ニコリともしないで小さい声で”どうも…”と言っただけだった。 愛想全然ねえなあ…変なヤツ。     これが彼に対する第一印象だ。   まさかこの後コイツと2人で、大陸1週旅行に出る事になるとは この時全く想像できなかった。(ヤツもそうだったろうけど…) コーヘイ(中央)とコーヘイB(後ろ)と・・・ 巻いてるのは普通のタバコですよ^^・・・まー皆怪しい集まりだな^^;   とりあえず住むところが決まったオレは早速その日から仕事を探しに 町の中心へ出かけた。 彼女と泊まったハイドパークの近くにあるST.JAMESという駅で降り町中をぶらぶらと歩いた。   都会の臭いがする町だと改めて感じた。 なによりブリスベンと違うのはスーツ姿の人が多いということ。 歩くスピードがビジネスマンのそれだった。 メインストリートのピットストリートには巨大なデパートやショップが何件も並んでいた。 みんな楽しそうにオーストラリアにようやく訪れた秋を楽しんでいるようだった。 そんなことを思いながら賑やかな町で一人歩いた。       ケッ!!みんなデレデレしやがって。   …いいなあ。    親指を噛んで歩いてみた。(ウソつけっ)     とりあえずいろんな情報が集められるワーホリ事務所があると聞いていた チャイナタウンへと歩いて向かった。   チャイナタウンもブリスベンのそれとは比べ物にならないくらい大きかった。 中華料理屋の他に骨董屋やフリーマーケットそして怪しげな大道芸人達。 スゴイなあ中国人て。外国でこんなに自分達の町を作れるなんて。   しばらく寄り道しながらそして迷いながらもその事務所の場所を見つけるとその建物に入っていき 求人募集の張り紙を端から端まで見てまわった。   まず今回、仕事を決める際に決めていた事が1つあった。 もちろん時給が高いというのもこの時期のオレにとって、とても必要なことだったけど 何よりも優先したのは地元の、普通の店で働くという事だ。   とにかく、日本で体験できない状況を選びたかった。 ブリスベンみたいな小さな町で地元の仕事を得るにはオレの英語は不充分だったから…   また地元の店で働くということは時給もオーストラリアで決められている 最低賃金を割る事はないというコトだ。    気になる広告を見つけた。    会話程度の英語、営業経験有り、週45時間労働(休日含む)、週休400ドル 皮ジャン、バック等の販売員 “レニーズ”という名の店だった。   労働時間がちょっと気になるが、週休400ドルなら家賃を払っても その後の旅行資金も貯められる。 それにその他の条件はなんとかクリアしてるように思えた。   しばらく考え、”労働時間のほうは交渉すればなんとかなるだろう”と思い電話してみた。   オーナーらしき人(この人の名前がレニー)が電話に出ると 「バイトの募集?OK 明日にでも面接に来てくれ」とのことだった。   ・・・なんかあっけないなあ?こんなもんか?   しばらく他の募集も見たがあまり目を引くものがなくとりあえず店の連絡先をメモして帰った。    次の日はロン毛も後ろで結んで出番のなかったスーツも着て約束の時間にその店に行った。   町のPIT St.と呼ばれるメインストリートと交差してる大繁華街にその店はあった。 コナカみたいな作りで鏡張りの綺麗な店だった。   オーナーのレニーは初め、昨日の電話なんてすっかり忘れた様子だったが わざとらしく思い出したように「ああー…バイトねっ」と言った。   オイオイたのむぜー。こっちは生活かかっとんねん。っていうか自分、 カンで喋ってんだろ?   オレが日曜日は働けないけどその他の条件はイケそうだと告げると   「いいよ。自分の働ける時間で…そしたら時給8ドルくらいでいい?」 とサラッと言い放った。   8ドル?マジで?。 ブリスベンで5ドルで働いていたオレは嬉しさのあまり即答するのをなんとか押さえ…   「いや、でもあの広告の週給を計算すると時給9ドルくらいでしょ?!」 と答えるとしばらく彼は迷って   「君には道で日本人観光客の呼び込みもやってもらおうかと思ってるんだけど… もし、それで客を連れ込んで来れたらプラスアルファをつけよう……君 シャイじゃないよね?」 とのたまった。   アホかあーオレ様のどこにシャイの切れ端が見れる?   ・・・…そういう言い回しする所じゃないですかね?    そしてクールに声のトーンを下げて   「OK、オレはシャイとは月と地球ほど離れてるぜっ!!」と決めてみた。   ……だからそういうトコじゃないですかね?     おもいっきりスベッた…。      明日から働く事を決めるとすぐにその寒い空気から逃れるように店を後にした。   帰りの電車では一人でニヤニヤしながら”なんだあシドニーいい町じゃん” …と今までにないほど順調に運んだ状況に満足していた。    

人生そんなに甘くなかった。・・・・

 

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